教師の親を持って子どもながらに思っていたこと

わたしの母親は小学校の先生でした。

普段から忙しくしていましたが、わたしが中学生のころに管理職になると一層激務の日々を送っていました。

当時、子どもだったわたしは、親が教師であることをどう感じ過ごしていたのかを今回は書きたいと思います。

とは言っても、以前ブログに書いた通り、いかんせん毒親なのでなんの参考にもならないかもしれませんが💦

【親がしんどい】出産以降、自分の母親へのストレスが増した話

寂しさはなかった。それが当たり前だったから

教師という仕事は忙しいから、子どもとしては寂しかったと

教師の親を持つ方が言っていたのを耳にしたことがありましたが

わたしは祖父母と同居していたのもあり、母が仕事で忙しくてもそこまで寂しいとは思いませんでした。

授業参観等の学校行事や部活動の大会など、来てくれるのはいつも父でした。

周りはお母さんが来てくれるのに、うちはいつもお父さん。

お母さんに来てほしい気持ちも当然ありました。

わたしが中学生の頃に母が管理職になると、さらに激務を極めました。

朝も早くに出勤し、帰宅も8時過ぎ…

でもそれがうちでは当たり前だから、母が忙しいのも教頭職が忙しいのも知っていたので口には出しませんでした。

今思うと、当時の母は忙しかったし大変な思いをしていたんだろうなぁと思います。

ただ、高校の部活引退がかかった試合で負けた時、

あぁ、お母さん、わたしのバレーボールしている姿を見ることは一回もなかったな

そう思った記憶があります。

バレーボールは中学の時は部長もしていたし結構一生懸命頑張っていたのですが

その姿を母は一度も見てくれなかったのかとその時は寂しく思いました。

「教員の子どもなのに」って言われないように…

仕事は忙しかったけれども決して放任なわけではなく

むしろ門限などは厳しく言われていました。

わたしは別にしっかり者ではないし、どっちかというと間が抜けてるタイプなので忘れ物も多かったのでよく母には怒られました。

でもその言い方には「教員の子どもなのに」「教員の子どものくせに」って言われないように…という

他者からの目を異様に気にしていたように感じました。

わたしのためにというより、自分のために言ってるのかなと感じることが多かったです。

大人になってから見に来るように

ちょっとびっくりなんですが、わたしが中学校に採用になって、初めての授業参観のときに母はわたしの学校に見に来たんです。

え、なんで??って(笑)

さすがに授業は見なかったけど、様子を見に来た~ってアポもなしで

いやいやいやいや…同僚の先生方もびっくりですよね(笑)

2校目の文化祭にも来ました。

当時は学年発表もいまいちぐだぐだで、見てほしくもなかったのに来たもんだから

ほんと来ないで!!って怒った記憶があります(笑)

なんで今更来るのさ。バレーやってた頃は、一度も見に来てくれなかったのに!!

以前ブログでも書きましたが、いまだに過干渉&心配性で口出しが多い母ですが

そのたびに思うのです。今更なに??って

見に来てほしいときには見に来なかったくせに。。

子どものころは、「今、その時」を見て欲しかった

管理職を務めながらの子育ても大変だったことでしょう。

母なりに仕事と子育てを両立すべく躍起になっていたのだと思います。

でも子どもとしては、二度と戻らないその時を母に見てほしい。

その時を後から取り戻そうとしても無理なのです。そう感じます。

手をかける時は手をかけて

成長とともに少しずつ手を離していく…

その手順をうまく母は踏めずに現在に至っているように思います。

とはいえ、母も当時は思い悩むこともあったようで、よく「仕事辞めて、子どもたちと一緒にいようかな」と口に出していたのを覚えています。

わたしは、わたしのせいで仕事を辞めてほしくないと思っていたので母にそう言いました。

母のおかげでわたしは東京の私立四年制大学に通わせてもらうことができたので感謝しています。

親になった今、思うこと。「一緒に過ごせる今を大事にしたい」

そんなこともあり、わたし自身管理職になるつもりも器もないし

なんなら子ども>>…∞>仕事だし、

あくまで生活のための仕事にすぎないし

子どもとの時間を一緒にたくさん過ごしたいし

子どもの今の姿をいっぱい見たいなって思います。

そのための働き方をするし優先順位を間違えたくないなと思います。

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